食料確保について考えてみた

最近、英語と経済を学習をしていて、それぞれの歴史を学んでいるうちに食料生産の効率化にも歴史があることを学びました。英語学習のプログラムがやりかけで止まってしまってますが、一度気になると調べることが止まらないので、プログラムはこっちがある程度収まったら、またやりだすと思います。

今日は食料確保について考えてみました。

動物は食料がないと生きていけないので、食料確保を考えることは生命の維持に関して一番大事なことです。

生きて行くために、食料確保ができれば、つまり自給自足ができれば動物としては、死ぬことはないです。

何当たりまえのこと言ってるの?と思うかもしれませんが、5万年くらい前は食料確保のために生きていたようなものです。

そこから時が経ち、稲、小麦という素晴らしい植物、動物の家畜化、機械化による効率UPを経て、食料を確保すること以外にも時間を使えるようになりました。

私にとって身近な食料確保の手段は、スーパーやコンビニなどの流通先で購入すること、家庭菜園で野菜を作ることくらいです。食料確保の手段のバリエーションとしてはすごく貧弱な気がしてきました。

仮にこの2つの手段しかないとして、スーパーやコンビニが都合により食料供給をできなくなると、家庭菜園で作ったものしか食べるものがありません。家庭菜園と言っても今はトマトが植わっているだけなので、全く足りません。

農家の方が生産を続ける限り、供給をして頂けると思いますが、食料を自分の手で作れることは、生物にとってとても有益なのだなと再認識しました。

今の社会は役割分担しているとはいえ、食料を生産して頂いている方には感謝しないといけないと感じました。

と同時に自分でも食料確保する術を習得したいので学んでいこうと思っています。